なぜ人は他人のダメなところを改善させたり、無理にでも正そうとするのか
そんなものに意味はない
僕はそう思う。
教えてあげて気がつかせてあげるならいいと思うが
なぜ押し付けるのか
お前のためだとかいうのか(そうでない場合が多い)
そんなことを考えてみた
僕の結論はこうだった
①相手を理解できてない、そして許せない
(前に言ったように完璧な理解などそもそも正攻法では不可能)
②そもそも相手のことなど、実はどうでも良く
邪魔されること、不利益になることへの対応
この二つが根っこだと思った
①は
いう側はそもそも許すことができる存在なのか?
特別な感情などはあるのか?
自分の我がままを押し付けてまで
相手をねじ曲げたい存在なのか?
それを押し付ける側は、今一度考えるべきだと思う
そこに愛でもないなら、相手にするだけ無駄
相手も自分もデメリットしかないから諦めたら良い
じゃなきゃ許せばいい。解決
②は
いう側は、あなたのためを思ってとか
くだらない嘘でオブラートに包むべきではない。
最初から邪魔をするなと言えばいい
自分の評判を気にするくらいなら
我慢してればいい。
じゃなきゃ自分が去ればいい
解決
どこまで行っても、
結局は相手より自分のことしか考えてないことが多いと思った。
それを相手を傷つけまいとなのか
自分に敵意が向くのが怖いのか
オブラートに包んだり、思ってもないことを挟むから
おかしいことになる。
愛があるなら許せばいい、
そうでなければ最初から偽善者ぶるなと言いたい
それでも相手の苦手を
自分のご都合で矯正するならば
それなりの対価を無償で捧げるべきではないか
それで実らなくても自己責任だし、相手は悪くない
勝手にやった自分のせいである。
それは
産廃感情と僕の中で名高い【期待】というものにも繋がることだと思う。

最新情報をチェックしよう!